
芹澤 佳通 Yoshimichi Serizawa
静岡県出身
常葉学園橘中・高等学校(現:常葉大学付属橘高等学校)音楽科、国立音楽大学音楽学部声楽学科、ボローニャ国立音楽院卒業。
2007年「第38回イタリア声楽コンコルソ」にてミラノ大賞(第1位)ならびに松下電器賞を受賞し、翌2008年よりイタリアのボローニャ国立音楽院 Conservatorio di musica Giovann Battista Martini Bologna、Corso di Canto vecchio ordinamento(5年コース)に入学する。在学中、音楽院内のコンクールにおいて第2位を受賞しその実力を認められ、音楽院が主催する演奏会のほとんどに出演。卒業試験では満点にてディプロマを取得する。
2013年に完全帰国。オーディションに積極的に挑戦し、2015年には世界のオザワこと小澤征爾指揮、ベートーヴェン「第九」のソリストオーディションに合格する。この時のオーディション参加者は驚くほど多く、当日のオーディション会場に張り出された参加者リストはA3用紙5~6枚に達していたと記憶している。その後も第九のソリストを何度も務め、2018年には第九アジア初演100周年を記念した「第37回なるとの第九」、そして2023年にはベトナムのハノイにて日越外交関係樹立50周年記念公演「協奏『第九』の響きを世界へ、未来へ」(タンロン遺跡特設ステージ)に於いてもテノールソリストを務めるなど、第九のソリストとして高い評価と信頼を得ている。
オペラでは、2017年の二期会創立65周年・財団設立40周年記念公演 R.シュトラウス「ばらの騎士」に動物売り役として二期会デビュー。それからすぐその才能を認められ、翌年には早くも二期会オペラ劇場プッチーニ「三部作」《外套》に主役であるルイージ役に選ばれ新国立劇場デビューを果たし、そのドラマティックな歌唱と日本人テノールにしては珍しい体格で注目を集める。その後も二期会ではウェーバー「魔弾の射手」、ベートーヴェン「フィデリオ」、サン=サーンス「サムソンとデリラ」にてカバーキャストを務め、2020年にはグランドオペラ国内共同制作プッチーニ「トゥーランドット」において、日本を代表するテノール歌手でありNHKニューイヤーオペラコンサート常連の福井敬氏とダブルキャストとしてカラフ役に抜擢された。そして2021年、東京二期会オペラ劇場ワーグナー「タンホイザー」では自身初となるワーグナー作品に、初のタイトルロール(タンホイザー役)デビューするなど、主役を歌うプリモテノールとしてそのキャリアを確立させた。
2021年4月には来日予定だったイタリアが誇るテノール、フランチェスコ・メーリ氏がコロナ禍の渡航制限で日本に入国できなくなり、急遽代役としてオペラ界のレジェンド、リッカルド・ムーティ指揮による、ヴェルディの歌劇「マクベス」にマクダフ役にて出演することとなる。数々の偉大な歌手と共演し、イタリアオペラ界を牽引してきたマエストロ・ムーティの要求と指導は厳しいものであったが、短い稽古期間にも関わらず見事にその重責を全うした。
東京二期会会員

東京・春・音楽祭 リッカルド・ムーティ指揮
ヴェルディ「マクベス」
Episodio01
ひとり第九
緊急事態宣言が出され、芸術文化活動が制限されたコロナ禍。その間に多くの舞台、コンサートなどの舞台芸術が軒並みキャンセルとなっていき、音楽家達は路頭に迷うこととなった。そんな中、東京都生活文化局の芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」のことを知る。それまでの人生を振り返ると、大きな節目にはいつも「第九」があったことに気が付き、緊急事態宣言下での3つの密を避けるため、「第九」全パートをひとりで歌唱した作品「ひとり第九」を作ることを決意した。合唱パートにいたっては、その厚みを出すため各パート4回ずつ録音し、その結果音声データは190ファイルを超えた。レコーディング、ミキシング、映像編集も全てひとりで実践した理由は、人の持つ想いの強さを「無謀な挑戦を成し遂げること」で表そうとしたのだった。
Episodio02
17日間のタンホイザー
これまでに数多くの舞台を経験してきた芹澤だが、実は2回以上演じた役はほとんど無い。それはレパートリーの特殊性が関係しているのだが、そんな数少ない「2回目」で強烈に印象に残っているのが広島シティーオペラ主催のタンホイザーである。タンホイザーは自身初のタイトルロールデビューとなった思い出深い役であり、約3時間の上演時間の中、最初から最後までずっと歌っている大役である。ベルカントオペラと違い、ワーグナーの作品は基本的に同じ歌詞やメロディーを繰り返し歌うことは無く、常に新しい歌詞を発し続ける。
2023年2月9日0時19分、一通のメッセージが届く。同日朝、メッセージに気が付き内容を確認すると「広島でタンホイザーの代役を探している」というものだった。本番は17日後の2月26日。代役依頼という視点で見れば、17日前の依頼は良心的と言えるが、如何せんタンホイザーの代役である。この様にめったに上演されない作品の恐ろしいところは「キャストに何かあった場合の代役が見つからない(経験者がいない)」ということに尽きる。だからこそ僕に白羽の矢が立ったわけだが、そもそも僕自身、前回演じたのはちょうど2年前(2021年2月21日東京文化会館)であり、あんなに苦労して覚えた膨大な量の歌詞は2年の間でほぼ記憶から消えていた。
メッセージを読み終えるとその場で1幕冒頭のシーンから「ヴェーヌス讃歌」を口ずさんでみた。頭の中はモヤが掛かっていたが口はかろうじて歌詞の輪郭を覚えていた。「なんとかなるかもしれない」そう感じて引き受けることを決意した。
思い出し練習はさながら受験生マインドだった。「東大に受かる連中はもっともっと勉強してる!自分は1教科しかないんだから!しかも暗記科目だ!理屈じゃないんだ!」と自身に言い聞かせ、空いている時間は全て自宅の防音室で過ごし、喉が疲れたら「手はまだ生きている!」と暗譜に苦労している歌詞を一心不乱に書き続け、集中力が切れたら自分が出演した二期会公演の映像を視聴し「映像の中の自分はちゃんと歌っている。そうだ、お前は出来ていたんだ!これはお前自身なんだ!」と自分に言い聞かせ、海馬に喝を入れ続けた。
依頼から本番までに残された時間は17日間。稽古は1度の音楽稽古と、通し稽古(冒頭から最後まで演技を付けての稽古)の2回のみ。翌週にはオーケストラ合わせ、ゲネプロ、本番。。。非常にイタリア的である。
最後は音楽スタッフ、舞台スタッフ、共演者のサポートのおかげで、広島でのタンホイザーは成功を収めることが叶い、それ以来レパートリーの中でも特別なものとなったのであった。

広島シティーオペラ公演
ワーグナー「タンホイザー」
Galleria

マエストロ小澤征爾と(2015年)

「クリストフォロス、あるいは『あるオペラの幻影』」
(2024年6月)

「夕鶴」長野県伊那市(2024年6月)